巻頭エッセイ(TANAKA)

樹身成仏

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カジュ通信2010年夏号 より

油断していたら、夏が来ていました。それも、大変手ごわい夏が。どんなに日中暑くても朝夕は涼しいのが鎌倉の夏なのに、今年はそれもままなりません。例によってカジュの庭はアマゾン級のジャングルと化し、植物たちの凄まじい生命力に毎日圧倒されています。

今年の春から、植物染のデータの整理をしていて、身近な植物たちのことを毎日植物図鑑やネットのサイトとにらめっこしながら調べ、試染しています。知れば知るほど、植物たちの、“生”のメカニズムに驚かされて、神話に遡るエピソードに感動し、それと同時に、人間という生きものが辿った“進化”(?)の道程がつくづく愚かで救いようがないように思えてきます。次々と殺傷兵器を作り出して、同じ“種”同士殺し合い、次の世代が住みにくい環境を残す生きもの、、、ほんとに1番利口なのでしょうか?!

植物の生き様の最も美しいと思える点は、その“欲のなさ”である気がします。もちろん、人間以外の動物もそうだとは思うのですが、“敵が来ても逃げられない”というライフスタイルを選択している点で動物に及びもつかない、ほとんど“解脱”に近い気高い生き方を思わせます。

仏教でいうところの「六道輪廻(りくどうりんね)」は、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つのステージに生まれかわるという概念ですが、どれも動物に関する生まれ変わりです。この六道輪廻の図はチベット密教の寺院に壁画としてよく描かれています。生・老・病・死に苦しむ人間界、争いばかりに明け暮れる修羅界、動物界、いつも飢えている餓鬼の世界、そして業火に焼かれる地獄、、、どれも人間を含む動物の欲の生み出す物語。人間より優れた存在である天人の世界(天道)も、煩悩から解放された境地ではありません。それら6つの界から完全に抜け出た境地が「悟り」というわけです。(あ、これはあくまで門外漢の私の私感です。)

悟りの世界には、どんなものがあるのかな、とよく思います。色とりどりの花が咲き乱れ、蒼々と木が茂るところではないでしょうか。そう、きっと我々の周りに息づいている草花や樹木たちは、全てを悟った良き魂の化身なのだと思います。いつか彼らに習いたい。

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夏の仕事

Small_happiness

カジュ通信2011年夏号 より

気がつけば、今年も半分以上が過ぎて、暑い夏がやってきました。今年は“節電”という大きな課題を背負った夏ですが、掲げられるいろいろなアイディアは、何も今年に限って実践しなければならないことではないですね。そう、ちょっと前まではエアコンの代わりにあたり前に行われた暑さ対策は、これを期にずっと続けてゆきたいと思います。

日本の暮らしは、本来、“面倒くさがり”には務まらないものなのだということは、ここ15年をカジュで過ごしてみて身に染みて感じています。手間を惜しんでいては、快適でないし、時には、病気などを引き起こして命に関わることも。そうそう、昔の手紙の冒頭の挨拶に「つつがなくお過ごしでしょうか。」というのがありましたが、これはツツガムシという伝染病を媒介する虫のことで、東北の河川域などによく発生して人々を苦しめていたそうです。手入れを怠ると、そんな虫は大量発生する、カビははえる、モノは腐る、、、日本で特に夏に“スローライフ”を実践しようと思うと、毎日はスローどころの話ではありません。(笑)

でも昔の日本人はすごかった。そんな手間ヒマを、“楽しむ”余裕を持っていたように思います。カジュには、萩戸(はぎど=風が通るように作られた夏のふすま)が10枚以上残っていて、今はふすまを全部コレに変えているのですが、これが見た目にも、実用面でも、すこぶる具合が良いのです。葦簀(よしず=こんな難しい時だったんですね)、簀垂れ(すだれ)、うちわ、打ち水、そして風鈴。昔は見た人が涼しい気持ちになれるように女性は、着る浴衣や着物の色を吟味したと聞いたことがあります。自分じゃなくて人のため。カッコイイ。

震災に遭われた方々の記事をよく新聞でみますが、どの写真も笑顔、しかも底から輝くような笑顔なのには、ほんとうに心打たれます。どんなに苦しくても楽しみを見い出す力、まさに、伝統の気質。被災者の人にできるなら、私たちに取り戻せないはずはない!おう!

日本語の「働く」はもともと「はた=傍」「らく=楽」が語源だったそうです。身近な人を快適にしてあげる、そんな気持ちで、楽しい節電ができたらいいですね。一応、アーティストの端くれ、何か楽し〜い涼のアイディアを考えながら、夏、働きます。



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璧身昇華

Being 写真→出典

2010年カジュ通信 夏号より

油断していたら、夏が来ていました。それも、大変手ごわい夏が。

どんなに日中暑くても朝夕は涼しいのが鎌倉の夏なのに、今年はそれもままなりません。例によってカジュの庭はアマゾン級のジャングルと化し、植物たちの凄まじい生命力に毎日圧倒されています。


今年の春から、植物染のデータの整理をしていて、身近な植物たちのことを毎日植物図鑑やネットのサイトとにらめっこしながら調べ、試染しています。
知れば知るほど、植物たちの、“生”のメカニズムに驚かされて、神話に遡るエピソードに感動し、それと同時に、人間という生きものが辿った“進化”(?)の道程がつくづく愚かで救いようがないように思えてきます。
次々と殺傷兵器を作り出して、同じ“種”同士殺し合い、次の世代が住みにくい環境を残す生きもの、、、ほんとに1番利口なのでしょうか?!

植物の生き様の最も美しいと思える点は、その“欲のなさ”である気がします。もちろん、人間以外の動物もそうだとは思うのですが、“敵が来ても逃げられない”というライフスタイルを選択している点で動物に及びもつかない、ほとんど“解脱”に近い気高い生き方を思わせます。

仏教でいうところの「六道輪廻(りくどうりんね)」は、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つのステージに生まれかわるという概念ですが、どれも動物に関する生まれ変わりです。

この六道輪廻の図はチベット密教の寺院に壁画としてよく描かれています。生・老・病・死に苦しむ人間界、争いばかりに明け暮れる修羅界、動物界、いつも飢えている餓鬼の世界、そして業火に焼かれる地獄、、、どれも人間を含む動物の欲の生み出す物語。人間より優れた存在である天人の世界(天道)も、煩悩から解放された境地ではありません。それら6つの界から完全に抜け出た境地が「悟り」というわけです。


 

悟りの世界には、どんなものがあるのかな、とよく思います。色とりどりの花が咲き乱れ、蒼々と木が茂るところではないでしょうか。そう、きっと我々の周りに息づいている草花や樹木たちは、全てを悟った佳き魂の化身なのだと思います。いつか彼らに習いたい。

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円卓の織り士

Bejart_bolero 写真→出典

2010年カジュ通信 春・初夏号より

 また、カジュのイロハカエデに、初々しい新芽が出そろう季節となりました。丸13年、このカエデの木の季節ごとの変化に合わせて実にいろいろなことが日々、紡がれてゆきます。

 よく、人様から、「忙しいでしょう」「よくそんなにたくさんのことができますね」などと言っていただくのですが、確かに、カジュ・アート・スペースの運営のためには、染織以外に、営業活動、広報活動、意外と時間を使うのがそうじ、、、。かあちゃん業もやっているので、日々の食は手が抜けないし、PTA関連もあれこれ。お陰様で全く退屈とは無縁の生活を送っておりますが、“心が死んでいる”ほど「忙しい」と感じたことはありません。有難いことです。

 脈絡のない様々な仕事を同時進行する時に、はて、どうやっているかしらとあらためて考えてみました。カジュの運営をはじめた当初にはよく追いつめられてパニック状態になったりすることもあったのですが、最近はだいぶ楽になりました。その理由は、、、1.機械化がすすんだ。2.経験を積んでものごとの予測がつくようになった。3.年を食ってずうずうしくなった、、、などが考えられますが、もうひとつ、「壁がとれてきた」というのが大きいように思います。そう、「見通し」がよくなってきたのです。

 昔は“制作”以外のことは雑事(やっかい事)という頭でいましたが、今は、そうじも、‘文章を書く’もチラシ作りも、イベント企画も、家事も、遊ぶのもぜ〜んぶ同じまあるいテーブルの上にのった“同等の仕事”になってきました。この概念、たいへん楽で便利です。

 例えば野原に染料になる草を摘みにゆく。当然美味しそうな草も見つかる。染めものしている間に、食べられる草を洗い、脇でゆでておく。そして、夜のおかずが一品できる。(染織と家事の同時進行)。イベントのチラシを作る。その時のフォーマットが、頼まれていたPTAのお知らせにピッタリ。で、いっしょに作る。(広報とPTA活動の同時進行)、、、このフィールドを越えた仕事の同時進行は、不思議と“得したゼ!”感が大きく、貧乏性の私にはこの上ないヨロコビです。

 仕事とプライベートをきっちり分けるのもひとつの哲学ですが、私が選んだ織仕事は、そもそも、家の女性たちが家族の衣類のためにやっていたことですし、アートは、遊びが命ですから、この2つはカオスのように混然一体です。円卓にのった脈絡のない様々な事柄を、時と場合によって、いろいろに並べかえてみる、、、すると、その事柄を全く別の角度から見られて、新しい発見があったり、長年の懸案のとなりに、ポンと別の事柄を置いた途たん、またたく間に解決したりします。これはまさに“主婦の脳”のワザですね。

 はじめから、あまり成果を思い描かず、フィールドの壁を取って円卓の脇で今日も生きております。ときどき座る位置を変えてみたりしています。円卓を回してみたりもします。そうやって私の毎日は、くるくると紡がれてゆくのだなあと感じます。


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正も負も。

Kawazu

2010年カジュ通信 新春号より

 静かに年が明けました。鎌倉の街中は、例年になく人出があったと聞きましたが、結局私は家とカジュでじっとしておりました。(笑)今年もよろしくお願いします。冬至を過ぎると、目に見えて日が長くなりはじめ、午後の仕事がなんだかちょっとウキウキしてきますね。春の訪れには、ほんと、人の心を元気にする力があります。



 春といえば、カジュはカジュ祭と鎌倉路地フェスタの準備に余念なくなりますが、他のNPO活動も春から元気なようです。今年は心して、街の他の活動もしっかり見に行きたいと思います。



 最近、沖縄の米軍基地問題が新聞などで大きく取り上げられていますが、知れば知るほど、その問題の抱える複雑な事情が見えて、どこにも出口が見えない絶望感に襲われます。鎌仲ひとみさんの力作ドキュメンタリー「六ヶ所村ラプソディ」を見た時も、東北の村の原発問題の、根の深い多面的要素に頭を抱えてしまいました。どんな問題にも、“絶対的悪人”は、ひとりもいません。不思議です。



 「○○建設反対運動」「△△破壊反対運動」など、社会的影響力の強い活動に多くの反対運動があります。その戦いに身を投じている人たちのタフネスには、ほんとうに脱帽です。その戦いの勝利によって受けた恩恵に、私も気づかないところで知らず知らずのうちに浴していることでしょう。



 ただ、反対運動の原動力は何か、を考えると、それは相手を否定するところから始まる負のエネルギーであることは否めないと思います。その運動が大きくなるにつれだんだん増幅してくるのは、その反対運動を利用して、日頃の憂さを晴らそうとする心の動きです。これは、かなり危険ですよね。



 成功を納めた反対運動は、よく見ると、その負のエネルギーと対になるポジティブなビジョンがとてもしっかりしていると思います。○○反対!と叫ぶだけでなく、それを反対することで得られるものについて、具体策や責任感があります。



 アートを手段に何かをするときは、目的は同じでも、その原動力は“正のエネルギー”でありたいと思います。久々に会った古い友人は、マザーテレサの言葉を教えてくれました。「私は反戦運動はしない。平和運動をしたい。」マイケルジャクソンは、This is itの中で、「見たこともない才能で世界を癒そう。」今年のお手本。

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生きる糧

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photo from this site

2009年カジュ通信 秋・冬号より

 2003年に、ロシアのシベリアで、展覧会とレクチャーをしたことがあります。それまでの、私の、ロシアに対するステレオタイプのイメージは、80年代までの“冷戦”を背景にした実にお粗末なもので、この体験は、それを一気に払拭するものでした。

 その時のロシアは、経済状態が混乱を極めていて、現地のアーティストが、毎日のお惣菜に「ひき肉でも肉が高くて買えない、、、。」と言っていました。
、、、なのに、町には、バレエや音楽のホール、大小ギャラリー、シアターがあっちにもこっちにも、、、!私が行ったのは夏でしたので、お休みのとこが多かったのですが、演目が最も充実するのは、マイナス40℃になるという極寒の冬なのだそうです。
ソ連時代の教育のよい遺産なのでしょう、あらゆるアートが生活の“必需品”として大切にされている様を短い滞在の中でひしひしと感じました。ひき肉買えなくてもバレエは観に行くの?そっちの方が生きるのに大事?かっちょいい。大人も子どもも、かっちょいい。

 モスクワの地下街でも目撃。立ち並ぶキオスクの中に油絵売ってるお店がある、、、!あら、お客さん買ってる、、、!まるでチョコレートや花を買う気軽さで、小さな油絵を、フツーのおばちゃんが買ってる!!日本のどこの地下街にこんな光景の見られるところがあるでしょう。

 「アーティストたるもの、アートで金儲けを考えるのは言語道断」という美しい考え方があります。ロシアのケースにしたって、彼らがあれほどアートを大切にできるのは、社会主義だったからで、これからは同じようにはいかないかもしれません。
アートとお金、、、相性が悪いのに腐れ縁で長年連れ添ってしまった夫婦のような関係です。毎回、アートプロジェクトの金策には、作品の制作以上のエネルギーを使っていますよ。

 しかし、この両者、ほんとに両立しないものなのでしょうか。
プロのアーティスト、というのは、「それで食ってるアーティスト」という意味です。そのお金が、作品を売ったものでも、主旨に賛同してくれた個人や団体からの助成金でも、関連グッズの企画販売でも何でもよろしい。自分以外の人を巻き込んでアートするなら、プロは収支に責任を持つべきですね。(ボランティアのみんな、ごめんよ!!)

 その自治体の経済が何で成り立っているかは、土地土地によって違います。
あるところは自動車産業でしょうし、あるところは、りんごの生産かもしれません。
その中にもし、アートで町の経済が成り立っている自治体があったら、どんなに遠くでも行ってみたいと思うし、きっと住みたいと思うでしょう。多くの“美しい”アーティストもきっとそう思うでしょう。そのためには、みんなでいっちょ、ここらでお金と向き合いましょう!
野菜や牛乳といっしょに、油絵買ってくれるような人を増やすために。

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Back Line

Manray

photo by Man Lay

2009年カジュ通信 夏号より


ガンを患っていた父を見送って、納骨が済んだあたりから、腰や背中に痛みが出はじめ、あれあれ?と思ううちに、ひどいめまいに襲われるようになってしまいました。
あまり普だん病気をしないので、これには参った!寝ても覚めても、視界が劇的に回る回る。幸いよいアドバイスを下さる方が周りにたくさんいて下さったので、薬飲みつつ、鍼や整体、ヨガなどで大分よくなりました。西洋系のお医者さんは、耳のトラブルが原因といい、東洋系は背中や腰のゆがみが原因といいました。

背中というのは、普だんあまり自分で見られないので気づきませんが、何かのことで、例えば自分の後ろ姿の写真を見て、「げっ!」と思うことがあります。トシが出ているというか、自分が思っていたよりずっと情けない様相をしています、、、。

そう言えば、最近、人の背中が気になるようになってきました。特に男性の背中が気になるので、デッサンがしたいなあ、、、と思うんだけど、勝手に脱がしていい人がいないので、しばらく無理だ、、、。30代を過ぎた人の背中には、物語を感じます。

人は、生きていきながら、段々と思い出ができてきます。で、それをどこにしまっていくのかな、と考えると、やはり「胸の奥にしまっていく」のではないかと思うのです。
大切なものや、苦しかったものほど、胸の奥にしまわれるのではないでしょうか。そして、日常生活の片付けに、人それぞれのスタイルがあるように、思い出のしまい方にも人によって様々な違いがあるはずですね。

年を重ねると、しまった思い出は段々増えてきます。新しいのをしまう時、古いものをさらに奥に押しやることになる。、、、

ははん。そうか。

そして段々押しやられた思い出が、背中に透けて見えてきてしまうというわけですね。となると、「しまい方」が大事になるのよね。「仕舞う」という字を当てますが、「仕」には「明らかにする」、「舞」には「思いのまま扱う」という意味があります。好きなものの、嫌いなものも、思い出はすっきり美しく仕舞いたいものです。

美しい背中のために。

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絆のかたち

2009年カジュ通信 春・初夏号より

9年前、前立せんガンを発病した父は、恐らく奈落の底に突き落とされた気持ちになっていたと思います。

自分の父親が同じ病気で亡くなっているからです。しかし父は慌てることもなく、騒ぐこともなく、腐らず、焦らず、「ガンをやっつけるのではなく、ガンを飼い慣らして共に生きていこう。」と決心し、淡々と自分の信じる治療法でガンと向き合い、辛抱(死語だよね、今)を続けて、5年前、ついにガンを克服し、地域の自治会長をつとめ、サラリーマンを辞してから始めた古文書のインストラクターを続け、「死ぬ瞬間まで普通の生活をする」という信念を貫き、親不孝な長女(私)を事あるごとに心配し、同じくガンを患った母の介護を誠心誠意行い、見送り、そのあともぶれることなく日常を送っていた父。昨年、ついに再発が確認されました。

それでも「動けるうちは」と、何ひとつ変えることなく、母と暮らした家で、実に自尊心に満ちた身綺麗な生活を体現しておりました。
両親と私は、決して解り合える仲の良い親子ではありませんでした。「女はこうあるべき」という価値感がゆるぎなく存在していた家でしたので、その枠組みが苦しくて、随分若い頃は反抗もしました。今でも、私のしている活動のほとんどを父は見ません。見に行ってもアラが目について楽しめないと言います。(笑)

そんな環境でしたから、私が育った家庭は最強の“道場”でした。少々の困難が襲ってきても、「かならず道はある」と信じて、物事をやりぬく力がついたのは、この家庭のおかげでした。合掌。

父の期待を見事に裏切り、シングルマザーで、働く女の私。難しい年頃になった息子と戦いの日々です。

息子と同じ年代の少年少女に言いたい。「甘ったれるのもいいかげんにしろ。」と。病痛と戦う人、戦下におびえる人、8億いるといわれる飢えている人、、、そんな人が多くいる中で、自分たちがどれだけ恵まれているかも気づかず、自分勝手ばかり言うなよ。死期が近づき、自分で歩けなくなった父を背負った時の、あまりの“軽さ”にそんなせりふがつい出る・・・。


このエッセイは4月中旬に書きました。これを書いて間もなくの4月26日、父は帰幽いたしました。ほんとうに、たくさんの方の温かいお心に父も私も支えていただきました。この場をお借りしてお礼申し上げます。(7月10日 たなか拝)

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