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2008/01/12

2008/01/12

こころ花

Bottlefromg
Bottoles08


母が逝ってちょうど一ヶ月が過ぎました。

葬祭やそこから続く一連のしきたりに身を任せて忙しくしているうちはよかったのですが、それが済むと、特に何が原因ということもないのに、どんどん気持ちが落ちていき、眠れない、何もする気がしない、しようと思っても全く集中できないの日々が続きました。
親をおくった経験のある知人たちからは「後からくるよ」と口々に言われていたのですが、ああ、なるほど、と思いました。

母より7歳年上の残された父の、「順番がちがうよなぁ」というぽつりとつぷやいた一言に、人生の伴侶を失った心情が滲んでいました。

父は、現役の頃は、戦後の日本の復興にたっぷり貢献した、高度経済成長をリードしたような猛烈企業戦士でした。母は結婚してからは他で働くことのなかった専業主婦で、どこにでもある当時の普通のサラリーマン家庭でした。
よく、そのような家庭では、一家の主が定年を迎えると、「熟年離婚」が起こったり、奥さんがノイローゼになったり、旦那さんが鬱になったりという話をききます。
私の両親の世代のサラリーマン家庭では、旦那さんが奥さんの日頃の交友関係を把握していることはあまりないのが普通のようです。奥さんの習い事やボランティア活動に理解がないという話もよく聞きます。

母は大変社交的な人で、独居老人の給食サービスのボランティア団体を立ち上げ、15年に渡って活動を続けていました。イタリア語を習ったり、歌を歌ったり、絵を描いたりと、実に活発なオバサマでした。ですから、葬祭にはびっくりするほど母自身の友人という方々がいらしてくださって、たいへん「華やか」な葬祭(笑)となりました。

そんな中、喪主の父はというと、ぼうっとしているかと思ったら、なんと、ご会葬くださった母の知り合いのほとんどのお顔とお名前をわかっていて、自らお名前を呼びかけて挨拶して回っていたのです。
地域で仕事をしている私は、その母の知り合いの方々とはネットワークがかぶるので、かなり存じ上げているつもりでしたが、父には及びませんでした。
このことが、私には母にとっての一番の供養に思えて、なんだか、じんわりしてしまいました。

「ほい、きた」の二つ返事で、受付などを引き受けてくれた私の友人たち、ほんとにありがとう。忙しいのにかけつけてくれた友人たち、ありがとう。その後も花や手紙を送ってくれる友人たち、ありがとう。中でも、ドイツの友人たちからは、「ひとりじゃないよ」「いつもあなたといっしょだということを忘れないで」と書き添えられた手作りのカードや美しい写真入りのメールをたくさんもらって、どんなに気持ちが癒されたか知れません。ダンケ。

それに引き換え私は、今までどれほど知人・友人たちの親御さんの訃報を、軽く受け流してきてしまったことでしょう。みんなこんな思いをしていたんですよね。お産の時もそう思ったけど、自分の身に起きないと見えないもが多くて情けなくなる・・・。

アートなんて、やっぱり何の役にもたたない、とちょっといじけていたのですが、贈られる花や美しい絵はがきにこんなに自分自身が癒されたので、またその可能性をちょっと信じてみるかな、という気になってきたこの頃です。

※写真はトラーベ・アート・フェスティバルに参加してくれた造園家のアレクサンダーが、私が海岸で古いガラス瓶を拾い集めているのを知っていて(右)、「庭の仕事をしていたら、こんなものが埋まっていたんだ。君のコレクションに加えてもらえればと思って」という手紙とともにドイツから送ってくれたガラスの小瓶。このやさしい心遣いがほんとにうれしかった。

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