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2008/02/21

2008/02/21

Shape of Love

「愛とは」というテーマは、人類が"ものごころついた"時からの長いテーマですが、昨今チマタにはびこるこの「愛」という言葉、便利でトレンディーな輸入品、という感じに見えるのは私だけでしょうか。

キリスト教が日本にはじめて入ってきたとき、聖書の日本語訳で宣教師たちがとても困ったのがこの"love"だったと聞きます。
日本語にはこれに当たる適切な言葉が当時はなかったらしいのです。「愛染明王」ではお馴染みの「愛」の字も、室町時代では、色恋のニュアンスが強く、結局「ご大切」という言葉を当てたのだそうです。

このごろ、この「愛」という概念が、もしかしたら私にはないのかもしれないと、自分でおののいています。

さきほどラジオのニュースで聞いたところでは、児童虐待の件数が、また増えたということで、その結果死にいたった子どもが37人報告されているそうです。

では、虐待をおこなう親や先生は、冷酷無比な鬼なのかというと、どうも違うような・・・。
要は、「愛」の概念がゆがんでいる、「愛」のはき違えで起こっている悲劇のように思えるのです。

子どもへの折檻がとまらない親は、自分が受けてきた「愛」に問題がある場合が多いといいます。

「情」はある。「恋慕」もある。「忠義」や「仁」も間違いなくある。しかし、そもそも果たして、私たち日本人は「愛」という概念があるでしょうか。

自分をかんがみるに、たしかに厚い情けに包まれた実感はあるのですが、父や母が、私を「理解」することは、ついぞありませんでした。で、おそらく、ほとんどの日本の親子はそうなのではないかと思います。(少なくとも、私より上の世代は)

父は子どものために、孫のためにとお金の心配や家の心配をそれはそれは親切にしてくれます。しかし、私は父にとって、出来損ないの、女としてはまったく失格の、「かたわ」なのです。私が大切にしているものは、どれもゴミ同然、わたしが大事にしている人たちのことも「所詮他人だろう」でおしまい。 それを大ぴらに言って憚らない。おいおい。
そんな私をを哀れんでしてくれるすべてのことは、私には痛い。
そこに、自分の「愛」への欠落した心が見えてなんとも自分が情けない。

お父さん、私はね、この12年が人生で一番しあわせなのですよ。一番自分らしく、人にそれなりに必要とされて、楽しく生きているのですよ。そのことを、ちょっとでいいから、喜んでもらえないでしょうか。それが私には「愛」なんです。

世の中で、子どもを一番愛しているのは親だといいます。これは間違いないでしょう。虐待している親でもそれはそうだと思います。
でも、同時に、その人間を立ち上がれないほど傷つけるのも、ほかでもない肉親なのです。「愛」の名の下に。

そして、肉親によってついた傷は、付き合い方がわかるようになるだけで、癒えることはありません。

「愛」の正体は、不惑を過ぎた昨今、ますます遠のいてゆきます。

理解のない愛は愛ではなく、「情け」。深い情けは、正負どちらのエネルギーも内包しています。

でも、人はそれぞれのやり方で、愛していくしかありませんね。息子がわたしの「愛」によってキズを負わないことを願うばかり。

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