仕事という化身
二つ前の日記にエルネスト・チェ・ゲバラと私の祖父のエピソードを書いたところ、思いがけず多くの反響をいただきました。その関係でいただいた私信のメールは、12通。そのうち3通は見ず知らずの方でした。昨年が没後40周年ということもあったのでしょうが、今更ながら、日本でのゲバラ人気の高さに驚いています。
子どもの頃から名前だけはよく知っていた「チェ・ゲバラ」という、「おじいちゃんが外国で会った、ちょっと怖いゲリラ(この言葉がだいたい子供心に怖かった)のおじさん」だった彼が、2004年に公開された「モーターサイクル・ダイアリーズ」という映画をたまたま見たときから、少し違う人物として自分の中で甦ってきました。以来、注意していると書店でも彼の本によく出逢うようになりました。(人間は、自分が関心のあることだけが見えるという実に身勝手な目を持っているものです。)
ゲバラに関する本を3冊ほど読みまして、だんだんとこの、どうしようもなくピュアで不器用な英雄の人間像が私の中で組み立てられてゆきました。そしてそれは、今は亡き祖父の姿にも重なったのです。
功名心や出世欲といったものとは全く無縁の「人のために何かしたい」という衝動は、その人物にそれを成し遂げようとする情熱と体力があって、時代の波をうまくつかんだとき、とてつもない英雄を生み出すことがあります。
そうやって生まれてしまった英雄は、もう後戻りができません。そして顔も見たことのない多くの他人に、どんどん神格化されてゆくのです。
その結果、「人のため」にはじめた仕事はどんどん巨大化し、結局一番身近な「人」=家族がその犠牲になるケースは少なくありません。
ゲバラさんがそうだったとは言いませんが、彼のふたりの奥さんと、5人のお子さんは、夫を、父を、彼自身が推し進めた仕事によって奪われたのは事実です。
英雄に限らず、「仕事」によって、一番守りたい、たいせつにしたいと願っている存在を知らず知らずのうちに踏みつけにしていることは、そこここに見られます。ふと、そんなことに思いを巡らしながら、自分を振り返ってみました。
13歳の息子は、今大人への階段をのぼり始めています。
私はこの13年間、生きるために、子どもを守るためにできることをしてきたつもりになっていました。しかも、離婚によってやっと取り戻せた安全と自分自身を、めいっぱい生かす道を楽しく歩いてきた気になっていた。
なのに、最近、大爆発した息子の一言。
「俺さえいなければ、こんなたいへんな思いをしなくてよかったんだろう!」
・・・これはこたえた。
彼には、私が毎日忙しい、疲れた、自分にちっとも構わない、自分を愛していない母親に映っていたのですね。
膝がわらってしまって、立ち上がれませんでしたよ。情けないったらない。
自分が「忙しい」と思ったことも、「たいへんだ」と思ったことも一度もなかったのですが、私は彼にそれを十分伝える努力を怠っていたようです。
祖父もかなり破天荒な豪傑だったようですが、よく、祖母や母を含めた3人の子どもたちに手紙を書いていて、それがずいぶんと家族との心の溝を埋めていたようです。ゲバラさんも、実にたくさん、お母上や奥さまやお子さん方に、暗黙の「すまない」が隠れている愛あふれる手紙を書いていますね。
やってみよっと。
ことの大きさや種類、性別に関わらず、している仕事がもはや「自分自身」と化してしまった人間には、その仕事をやめるのは不可能です。そうした人間が家族にできることは、「こんな自分を許してほしい、愛している」と伝えることしかありません。ま、私は幸いオンナなので、仕事と家の狭間で男の人ほど切実に悩まなくていいですけどね。第一、私の選んだ仕事は、もともと家事の一部だったわけだし、愛、あまってるし。(笑)
今は、私のすすめるもの、私の好きなものにことごとく拒否反応を示す息子ですが(笑)、いつか、私が、"自分自身である仕事"を通して彼に手渡したいと思っているものが、彼に受け入れられることを願っています。
なんと言われようと、私がしていることは、息子への讃歌と愛なのダ! たとえあんたにお父さんがいても、母さんは、今やっていることをどれもやめないと思うよ。 これがあんたの母親だ、すまん、ゆるせ!
しかし、数ある仕事の中でも、よりに寄って「革命」を選び、それが自分自身になってしまったゲバラさん。もしかしたら、家族のもとに帰るために、ボリビアであの終わり方を自ら選んだのかなぁ、なんて、ちょっと思ってしまいました。
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コメント
つるさんの日記にはいつも心地よく刺激を受けていますが
この息子さんとのお話には胸打たれました。
私もつい最近が15歳の息子に「環境活動だろうが平和活動だろうが、趣味じゃないか」といわれて考えさせられました。
伝える努力は親子でも夫婦でも、友人の間でも大切なんですけどつい怠ってしまいます。「わかっているだろう」と思ってしまう。私も手紙を書いてみようかな。
投稿: 洋子 | 2008/02/08 00:00
うちのムスメも私の勧めるもの、コトにはコトゴトク反発する時期がありました。
やはり、中学2年生くらいまでが一番きつかったように思います。(今でもコワイけど)お互いに距離がつかめないと言うか、地雷を毎日踏んでいるのかと思ったものです。
ムスメは私によく言いました。「そんなに大変なら、仕事やめればいいじゃんっ」と。大変でもつらくても続けたいものはあるのよ、母親にも。なんてことは彼女の想像力では考えられない事なのだろうと思いました。
私はくやしいので、仕事が忙しいから、家事が滞るという事態だけは避けてやると意地のようになったもので、そのため、いまだにムスメの家事能力は身に付かないままなわけです。
高校生になったムスメと、進路の話などを少しずつする中で、やっと仕事の話などが通じるようになってきたかなと思えます。(でもやっぱり、相変わらずコワイ・…かも。)
投稿: ヨウコ@Aroma | 2008/02/08 00:34
わーい、やさしいコメントがきたー! おねーたまたち、ありがとう!
>洋子さん
趣味・・・。おもむきと味わい、どちらも人間の必需品なんだけどね。息子さん、痛いとこついてきますよね。(笑) こうして、取り組んでいる仕事の質は、子どもに寄って鍛えられていくのですね。続けましょうよ、それしかない。おう!
>ヨウコ@Aromaさん
そうか、こわいのかぁ。娘の方が息子より厳しいという話は、生徒さんからもよく聞きますけどね。でもくやしいから家事をがんばってしまうというところが私とはちがう・・・。反省。
苦しくても続けたいことが見つかった私たちは幸せ者ですね。
投稿: つる | 2008/02/08 11:49
こんにちは。お久しぶりです。
息子の言葉、に一喜一憂する私です。
13歳・・・男の子にとって繊細な年頃に突入ですね!
男の子って、母親大好きでしょうがないんですよね・・・・
でも、年頃になってくると素直に甘えられないし、そうしたジレンマが「反抗心」となってぶつけられてくるようです。
>「俺さえいなければ、こんなたいへんな思いをしなくてよかったんだろう!」
まさに、愛情の裏返し。
本当は、「ぼくがいるから大変な思いをさせちゃってゴメン」なんだと思いますよ・・・。
子供がいるお陰で、
たっくさんの愛情を注げる幸せ!!
「お蔭さんで、大変な思いの数百倍の幸せもらってるんだよー」
と、叫んでみては??!!
私も、昨年の母の日に
「産んでくれて、ありがとう!」とメールをもらい、
嬉し涙で大泣きしましたっけ・・・・。
散々、母親の生き方を否定してきた息子ですが、
息子なりに成長しながら、色々な事、咀嚼していったんだなぁ
と思いましたよ。
多くの人に愛されているつるさんを見て育つ息子さん、
きっと、愛情豊かな大人になりますね!!
投稿: はる | 2008/02/08 12:29
>はるさん
うっうっうっうっう、
うるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうるうる。
・・・言葉がでませんよ。
投稿: つる | 2008/02/08 14:05
がーーっと仕事に突っ走った一昨年、去年の今頃つるさんと同い年のむすめに
「もっと仲良くしよう、話をしよう」と言ったら
「もう、手遅れだから」と言われ、心底堪えたの思い出しました。
それから、私も「伝える努力」私なりに一生懸命やりはじめました。
うまくいかないことも多々ですが、関係は変わっていく。変わってきたかなと1年かけてやってきてそう思います。
いつか大事なものを認め合えるかけがえない関係になりたいモンですね、お互い。
投稿: らく | 2008/03/14 14:04
そうか、手遅れね。
私と母は、ちょっとそんな感じだったなぁ。
ところで、こられる?
投稿: つる | 2008/03/14 17:06