一度でいいんだけど。
以前、親しいマブダチ♀と「生まれ変わったら何になる」という話で盛り上がったことがあります。
基本的に、アタシのトモダチ♀は男前ぞろいなので、井上陽水さんの名曲「人生が二度あれば」を聞いて、「一度でたくさんじゃ。」なんて言い放っても、そろって相づち打ってくれちゃうようなのばっかです。
そんなですから、「人生をやり直したい」とか「あと○○年若かったら」といった台詞は全然出てきません。そして概ね「もう、生まれ変わったりはしたくない」で意見は一致しています。
仏教では、生まれ変わりの連鎖(輪廻)から解放されるのが「悟りの境地」とされていますから、私たちの願望はかなり普遍性があると言えるでしょう。
なんかの間違いでうっかり生まれ変わってしまっても、
・女はこりごり、とは思わないが、この国で女やるのはしんどいかも。
・女はこりごり、とは思わないが、人間はもういいかも。
・案外、みんなに嫌われている虫とかに生まれるのは面白いかも。
・ヘビ
・カメ
最終的に、トモダチ♀は「羅臼(らうす)の海で昆布になりたい。」と言いました。「だって、ゆらゆらしてていいぢゃなーい。」
さて、ここで疑問が湧いてきます。
冷たい北の海に漂う昆布は、それが幸せでそうしているのか、単にその寒さに耐える力があるだけなのか・・・。
映画「皇帝ペンギン」を見たときも同じことを思いましたよ。好きで棲んでるはずの南極。なのに冬にブリザードがくると、かなり険しいシカメっ面で仲間同士でよりそって「耐えている」ではないの。そして春になると、小ペンギンちゃんたちがお腹でちゅるーんと氷をすべってチャプチャプ海で遊んでるでないの。
・・・なんだぁ、暖かくなってうれしいんじゃん。寒いの好きなんじゃないの?
とはいえ、アフリカに行ったら死んじゃうんでしょうし、結局のところ、何に生まれても何かは我慢して生きて行くことになるんですね。
今生きている人生もそう。いろんな出来事、いろんな現象に出会っているわけですが、例えば、とてもタフなことに直面しても平然としている人の中には、それが刺激として楽しめちゃう人もいれば、耐える能力があるから耐えていて、ただそれを表に出さない人もいるということです。
トモダチが今後も羅臼で昆布がやりたいかは定かではありませんが、私は間違って生まれ変わったら、森で大木になりたい。
できればカエデがいいなぁ。
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