死ぬるといふこと。
10年ほど前に、トランぺッターの近藤等則さんとお話しする機会がありました。もともと、理科系だった近藤さんがなぜミュージシャンになったのか、という話になって、「あるとき、ふと、死ぬ瞬間から逆に人生を見てみたんですよ。そこから逆算するように人生を見てみた。で、あ、やっぱミュージシャンになろうと。」
最近、親の死に立て続けに立ち会って、人間は死ぬために生きるのだと痛感しました。そして生き様はすなわち「死に様」なのだと。
いつ死ぬかがわからない以上、いかに死ぬかを想像するのは難しいことですが、近藤さんのように死ぬところから逆に人生を見るというのは、かなり今の人生を変えるアプローチですね。
夏休み中にベンジャミン・バトンとおくりびとを観ましたが、どちらも近藤さんの「逆算の視点」が感じられました。
今の自分のライフスタイルは、死ぬ瞬間がきても悔いのないものだとは思えるのですが、私の息子は果たしてそう思ってくれるかな、とよく考えます。
今はわかってもらえない様々な思いをいつか彼に理解してもらえるには、どんな死に方をすればよいのだろうと、台風に見舞われた夏の終わりに想うのです。
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コメント
同感。
投稿: ko'da-style | 2009/09/01 08:03
こんにちは。
大岡信氏の『ひとの最後の言葉』(ちくま文庫)、おススメです。
春先に、幸田文『ちぎれ雲』所収の「終焉」(父・幸田露伴の死に際を綴ったもの)を読んでから、人の「さいご」が気になって行き着いた本です。
一冊を通して話題になっているのは、「死」と、それに際して人(夏目漱石や国木田独歩、松尾芭蕉など文人が取り上げられています)が、どう生きて、どんな言葉を遺したか、ということです。
ひとつの曲がり角に来ている父や、大学で定年間近の研究者の傍らにいると、時折、「死」の匂いを感じることがあります。
この本で扱っているのは確かに、人が死ぬ、その瞬間の命の明滅に他ならないのですが、ある人の周囲に漂う「死」の匂いは、生物学的な「死」だけではない、と思えます。
私の周囲には、生物としての「生」はそのままに、研究者としての「生」や、仕事人としての「生」を終えようとしている人がいます。
現役を引退せざるをえないことを自覚しつつある姿の、その侘しさ。人間臭さ。けれどその時を見据えて、ひたと歩む姿は、凛として美しいです。
投稿: もち | 2009/09/03 22:00
☆ko'da-style
おひさ!
☆もち
こんにちは! いかがお過ごしですか。
大岡信さん、大好きな詩人です。詩人なのに明るい(笑)。いいご本を紹介していただきました。
早速読んでみます。
「死」の意味するところ・・・大きいですね。
投稿: つる | 2009/09/05 10:22