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2009/10/27

2009/10/27

Perspective

私の父は、サラリーマンを退職してから古文書の研究を始めたような人でしたので、たいへん書物に親しんでいました。現役の頃も、行き帰りの電車の中では必ず読書をしていて、革工芸をしていた母が、専用の革のブックカバーをつくってあげていたぐらいです。
しかし父は、小説や物語といった「フィクション」にけっして手を付けなかった。「所詮、作り物だ。真実はない。」と言い切りました・・・。

中学と高校で、10年ほど美術の講師をしていたことがあって、当然生徒たちに静物写生なんかを教えていたのですが、年々感じたのは、生徒たちが「見えているところ」だけを描こうとする傾向が強くなっている、ということでした。
立体を2次元の紙に描こうとすれば、そこには当然ウソがでてくる。そのウソは、「見えないところを見ようとする」力なわけで、凄腕のウソつきこそ、真に迫った絵を描くというわけです。ウソつきは、年々減っていました。

私は小説や映画が大好きで、とくに映画は、観方を手ほどきしてくれた"おっしょさん"がいたので、この所作でなにを表そうとしているか、とか、この台詞にどんな思いを込めたのか、このキャラクターは何の化身なのか、とかを読み解く方法をちょっぴり教わって、それがこの上ないヨロコビとなっています。その虚構の中にこそ存在する真実があると、私は信じたい。

両親と自分との明らかな違いは、何をおいても「こうあるべき」様式を守るという伝統の日本文化の継承者(??)であろうとしたところと、自分が感じることがその様式に反する場合は、なんのためらいもなく様式を無視できる無法者であるところです。
これ以上の親不孝はありませんでした・・・。

"めめしい"感性を押し殺して、起こった事実や長年受け継がれた規範だけを材料に作り上げる様式は、見た目には非常にすっきりと堅牢です。見ていて安心できる。その様式ができあがってきたプロセスやスピリットに共感できれば、その継承者にならんとする努力は楽しいものとなるでしょう。
でも私には、すべてではないけれど、その中に、人柱を埋めて作った大きな墓に見えてしまうものがある。

フィクションは「ウソ」です。詩人や、小説家や、劇作家や、映画監督や、画家や、音楽家や、料理人だって、染織家だって、はっきり言って、「ノンフィクション作家」だって、みーんな凄腕のウソつきです。

大抵の「事実」は、見た目と中身が違います。
「事実」と認識されるものの中で、何が「真実」なのかは、このウソつきたちの手にかかって、初めて幾通りにもアブリだされるのではないでしょうか。

台風一過、よい天気。
ウソつき街道、今日も精進。

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