友部正人と横浜の夜
その日は、めったに乗らない電車に乗って横浜の歯医者に行くところでした。
横須賀線の一番前の車両に座って、図書館で借りた本を読み始めていました。
すると、東戸塚・保土ヶ谷間で電車が急停止。「只今地震が起きておりますので、電車をとめました。」の社内アナウンスが耳に入ってきたと同時に、うねるような揺れに包まれました。
車窓から見えていた小学校では児童たちの緊急避難の様子が見られます。子どもたち、とても落ち着いています。
車内では、繰り返される車掌さんの「しばらくお待ち下さい」の放送を聞いているうちに、乗客の間に妙な「一体感」がうまれ、携帯ラジオの音量を大きくしてくれる人がいたり、「あら、あなた充電切れちゃったの?、私のどうぞ。」と携帯電話の貸し借りがあったり。
そこで2時間近く閉じ込められ、結局外に出されて徒歩で保土ヶ谷駅へ。
そこも既に混乱状態。でも停電はありません。
この時点で「ああ、今日は帰れないな。」と悟り、店がどんどん閉まっている中、一軒だけあいていたファミリーレストランに駆け込んで腹ごしらえ。
戸塚方面は混乱の極みだったので、横浜に出て見ようと思い、待機していた市営バスの車中で温かく3時間ほど過ごし、やっと横浜に着いたのが8時過ぎ。その間もたっぷり読書が出来ました。
あとで聞いたら60,000人いたという横浜駅で、やっと息子や友人と連絡がつき無事を確認。こういうときはやはり公衆電話が頼りなんですね。
「さて、どうしよう。」
そこからは「温かい寝床と紙のあるトイレ」をテーマに行動開始、あちこち歩いてみて、結果、まんまとベイ・シェラトン・ホテルのロビーに潜り込み、足の踏み場もないほどの人をもろともせずに、なぜかソファがゲットでき、クッションまで見つけて、ぐっすり翌朝の8時まで寝て、京急で新逗子までしっかり座って戻り、逗子から鎌倉にたどり着いたのが10時過ぎ。読んでいた本は読み終わりました。
あれほどの混乱の横浜駅周辺で一晩過ごしてみて、全く略奪、騒動、そのほかのトラブルが起きていなかったことにあらためて感動しました。
電話も譲り合っていたし、誰かがラジオを道においてくれるし、ダイヤモンド地下街では、隣同士で座り込んだ人たちでプチ宴会が繰り広げられるぐらい空気は平穏。寒くなければそっちに参加するのもよかったな。ホテルの人たちも嫌な顔一つせず、とても親切にしてくれました。
日本はすごいです。
苦しいときに「たいへんなのは自分だけじゃないんだ」と当たり前に思えるってすばらしいことです。
読んでいた本は、今年の路地フェスタでコンサートをしてくださることになった友部正人さんの耳をすます旅人というエッセイで、これがまた、日本全国の、裏返した向こう側にあるようなところを音楽とともに旅するまったりしたお話で、読み進むほどにどんどん気持ちがほぐれてゆきます。
友部さんとは矢野顕子さんのPiano NightlyというCDに入っていた「愛について」というカバー曲で初めて出会い、それ以来ずっとオリジナルが聞いてみたいなぁと思っていたアーティストでした。
今回はからずもご縁ができたので、ちょっと予習しよう、と思って借りた本だったのです。
地震がなければ、歯医者に行って、帰ってご飯の支度して、夜は制作と事務仕事、になるはずだった一日。それが友部さんのご本を読むために与えられた一日になりました。
あの混乱の中、一人でいても少しも不安にかられなくてすんだのは、この本のお陰です。
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コメント
読んでいて、とても嬉しい気持ちになりました。
日本人のすごさを感じます。
投稿: むかい | 2011/03/27 04:44
>むかいさん
ほんとうにそうです。
自然がいつ、何をするかわからない日本では、祈りや望みは「○○がほしい」「○○になりたい」ではなく、「無事」。
今ある日常が続くことがありがたいという、この潔いまでの欲のなさが、困難なときにときに人を蹴落としたりしない民族性を作ったんですね、きっと。
誇らしく思います。
被災地を思うと、温かいご飯が食べられる、お風呂に入れる、明日も仕事できる、がほんとうにありがたいことだと思えます。
投稿: つる | 2011/04/06 21:44