麻の花嫁衣装
コロナ禍の中、ひきこもり命令をよいことに、しばらく執筆活動に勤しんでいます。そのための調査の過程で、江戸時代後期の染織事情がいろいろわかってきました。江戸後期には、2回の大飢饉(天明、天保)がありまして、江戸周辺の社会情勢は、想像しますに、今とよく似ているように思われます。
天明の飢饉の時には松平定信が、天保の飢饉の時は水野忠邦が、老中として世の立て直しを図りましたが、いずれの場合もその一環として、かなり厳しい「奢侈禁止令」が敷かれました。
それによって、庶民は絹を着ることがご法度となります。
さて、「草木染め」と呼ばれる、いわゆる植物染料を用いた染めものが、実は、植物繊維(綿や麻)には染まらないことをご存知でしょうか? そう、日本の草木染めの豊かな色彩の世界は、「絹」に限ったものなのです。
唯一の例外が「藍」なのですが、その藍染も、発酵させる方法、いわゆる「建て染」が発明されたのは江戸時代後期のことでして、それまでは、薄い水色を染めるのがやっとだったのです。
そんな奢侈禁止令の中、それでも庶民の「お洒落をしたい!」という気持ちがなくなるものではありません。
ファッションは、古今東西、人に生きる力を与えてくれるもの。 きびしい制約の中でも、少しでも華やかに、少しでもかっこよく、は、当然の欲求です。綿や麻に、唯一しっかりと色をつけられることのできる藍染めで、職人たちは奥深い「青」の世界を生み出してゆきます。中でも、その深淵な世界は「絞り染め」の技法の着物に多く見ることができます。
当時、有松(現在の愛知県名古屋市緑区近辺)に発祥した「有松絞り」は、東海道を行き来する旅人によって江戸にもたらされ、大変な人気を博しました。それが、秋田の浅舞町に伝わり、彼の地に「浅舞絞り」と呼ばれる伝統を根付かせるまでになりました。有松絞り特有の気宇壮大な図柄が継承された浅舞絞りは、絹が着られない庶民の心を大いに慰めたのです。
染色家・安藤宏子さんのコレクションの中に、浅舞の商家の蔵から出てきたという、麻に藍で絞りを施した花嫁衣装があります。(お嫁さんぐらい、絹着がゆるされてもいいのに!)「おっこち染め」といわれる白場を多く残す絞りの高等技術で描き出された鶴、亀、松、白波・・・。
現在は、そんな社会事情は想像できないほど、経済的には豊かになりました。 花嫁さんはどんな豪華な花嫁衣装も思うままです。でも、幸せになってほしい、子宝に恵まれてほしい、その子に無事大きくなってほしい、という祈りを込めて作られた、この麻の花嫁衣装が、果たして、貧しいシロモノといえるでしょうか。
調べを進めれば進めるほど感じるのは、飢饉のさなかにあっても、めげることなく豊かに生きようとする、当時の人たちの強さです。コロナ禍の今、手仕事を糧する身としては、ほんとうの豊かさについて、あらためて思いを致しているところです。
(2020年 カジュ通信 夏号より)
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