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2021/04/11

2021/04/11

小千谷縮

 

Ojiya02 Ojiya013964(右端・写真出典)


「縮(ちぢみ)」とは、糸に強い縒りを入れて織った織物のことで、その強い縒りが布を縮ませることからこの名があります。和漢三才図会にも「衣がちぢんでのびないのを縮という。越後の小千谷で生産されるものを上とする。」という記述が見つかります。

江戸時代初期、播州明石(やはり縮の産地)から来たといわれている堀次郎将俊が、それまでの越後麻布に改良を加えて完成したのが小千谷縮です。
しぼのある独特の風合いで高い評価を得、昭和30年(西暦1955年)、国の重要無形文化財に指定されています。その技法を生かして織り始めたという小千谷紬も、昭和50年(西暦1975年)に伝統的工芸品に指定されています。

小千谷縮の材料は苧麻(ちょま)という上質の麻です。これで織られた織物を「上布(じょうふ」といいます。小千谷縮も「越後上布」のひとつなのです。
上布は苧麻の茎からとった繊維をを細かく砕いてつなぎ合わせ、一本の長い糸を作ります。
準備された経糸(たていと)に、模様付けされた緯糸(よこいと)一本一本柄を合わせながら丹念に織ります。一尺織るのに900回も手を動かすといいます。

この苧麻、上不の産地ではもちろん、そのために育てた苧麻が使われていますが、実は私たちの身近なところによく生えています。
鎌倉でも春頃からにょきにょきと現れ、夏の空き地に君臨します。

Choma0806

織り上げられた反物は、地を白くするために雪の上でさらされ、完成します。なぜ雪に晒すと生地が白くなるかはよくわかっていませんが、どうやらオゾンが関係しているらしいです。
この雪ざらしは、小千谷に春を呼ぶ風物詩だそうです。



◎参考サイト / 文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/小千谷縮
https://www.city.ojiya.niigata.jp/site/kanko/ojiyachijimi.html

・服飾辞典  文化出版局
・和漢三才図会 第27巻   寺島良安/著

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結城紬

Yuuki

茨城県結城市を中心に生産される紬織物(つむぎおりもの)。全国に様々な伝統工芸としての紬があります。

紬とは、緯糸に真綿(生糸にならなかった繭糸を角真綿、または綿帽子の形にしたもの)を手で引き出しながら縒りをかけた糸を使って織ったものをいいます。その緯糸に紡ぎならではの節があることから独特の風合いがあります。
現在では手紡ぎの糸は高くついてしまうため、化繊や木綿、毛などの節のある糸をつかってざっくりした風合いに織り上げたものを総称して「紬」と呼んでいます。

結城の地の紬織りの歴史は古く、伝承によれば、崇神天皇の時代に、多屋命(おおやのみこと)という人物が、三野(美濃)の国から結城に近い常陸国久慈郡に移り住み、長幡部絁(ながはたべのあしぎぬ)と呼ばれる織物を始めたそうです。絁(あしぎぬ)とは太い絹糸で織った粗布のことで、
それが結城地方に伝わり結城紬となったとされますが、定かではありません。
少なくとも、鎌倉時代にこの地を支配していた結城氏が幕府に「常陸紬」として献上していたことは事実で、それが結城紬となりました。

元々この地方では養蚕が盛んで、農閑期に副業として紬が作られたのが創始とされています。かつて鬼怒川は「絹川」と呼ばれており、生産中心集落の一つである小森は「蚕守」と表記された時代もあるなど、結城地方では養蚕にまつわる地名が多く見られました。

江戸時代初期に信州上田より織工を招いてより質が向上し、知名度も上がってゆきました。江戸の中頃には、本家・上田を抑えて「常州の結城の産が上とし、信州のものがこれに続く」と和漢三才図会にも記述が見当たります。

通常の紬が緯糸にのみ紬糸を使うのに対し、結城の紬は経糸にも紬糸を使っているのが特徴です。
糸に予めくくりを施して模様に染め上げから織る「絣(かすり)」が結城紬に取り入れられたのは幕末のことで、これが1873年にウィーン万国博覧会に出品され、世界的に名を知られるきっかけとなりました。

もともとはシャリ感のある太糸の風合いが結城紬の特徴でしたが、現在では製糸技術の向上で糸が細くなり、むしろ「軽くてやわらかい」と云われることが多いそうです。


◎参考サイト / 文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/結城紬
・服飾辞典  文化出版局
・和漢三才図会 第27巻   寺島良安/著

 

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