今年の3月、北鎌倉コットンのまりみさんからメールが来ました。
「ソメイヨシノを伐ったんですが、染料に枝、いりませんか?」ご自宅の改築のため、どうしても伐らなければならなかったその大木には、今にも咲くかという蕾が、びっしりとついているという。
そんな時期の桜の枝が手に入ることなど、千載一遇のことなので、「ぜひ、いただきたい。」とお返事しました。
明くる日、自転車に信じられないほどのたくさんの枝を積んで、まりみさんが工房にやってきました。(ありがとう!)「まだあるんです。使われるようならおっしゃってください。」と言ってくれました。まりみさんにしても、本当は切りたくなかった木、少しでも命をつなぎたい気持ちが伝わってきます。これは責任重大だ。
染織家・志村ふくみさんの「一色一生」に、「開花前夜の桜の枝で糸を染めると、まさしく桜色が染まった。」という記述があります。これを志村さんは「まるで桜の木が全身で花の色を準備していたようだ」と読み解いています。
工房でもサクラの染色は折々やっていますが、花の時期の枝はそうそう手に入るものではありません。だいたい、夏の終わり頃に市が剪定する桜並木の枝などを頂いてくることが多い。
そのころの色は、銅かアルミの媒染で櫨色、香染など、茶味が強い色合いになりやすく、特にソメイヨシノは、八重桜や山桜と違って、黄色味が強く上がることが多いのです。
しかし、いただいたソメイヨシノは、そのまま花瓶に活けたら、翌日には花が咲きそうな、みずみずしい蕾がたわわについていて、枝全体も、心なしか赤みがさしているように見えます。これは今までのソメイヨシノと違う・・・。
説明できない「ざわつき」が、胸の奥に沸いてきて、「これはすぐ煮出さなればいけない」、直感的にそう思いました。
さっそく、荒切りしてある枝をさらに細かく切って、鍋にたっぷりはった水の中に。そこでふと、余すことなく色を取り出したいと思い、アルカリ水で抽出してみようと思いたち、水に重曹を加えることに。で、点火。
他の仕事をしながらコトコトと半日煮出し、鍋を覗いて息を呑んだ。
染液が、深いボルドーワインのような色になっていたのです。
その色には、ただ「美しい」では片付けられない「なにか」が確かに宿っていました。まさに咲こうかという時期に、幹から倒された木の、口惜しさとも、情念とも思える「業」のようなものが。
恐る恐る、下処理した太番手のリネンの糸をその業のるつぼに浸してみると、色はまたたく間に糸に移っていきました。火をとめてしばらく浸したあとに銅で媒染し、ふたたび液に浸して一晩浸け置くことに。
翌朝、鍋の蓋を取ると、染液にはほとんど色は残っておらず、かすかに薄黄色の透明になっていました。糸は、そのサクラのすべてを吸い尽くし、少し茶味の葡萄酒色に上がりました。
干した糸を眺めて、頭を抱えてしまった・・・。「この先、どーすりゃいいんだ」。それまでなんとなく頭の中で描いていた織りの計画は、もろくも糸の迫力に吹き飛ばされてしまい、真っ白になってしまいました。
2ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎた頃。糸の色は少し落ち着いてきましたが、いまだ深い業にもがいている糸に、なんとか「安住の地」をみつけてあげようという気にやっとなり、経糸を準備にとりかかりました。
着物の世界では季節を意識した装いが約束で、草花をモチーフにした柄の場合、その開花期を少し先取りするのが習わしです。ですが、サクラだけは、全面に花があしらわれているようなデザインに限っては、通年着ることができます。つまりいつでも咲かせられる。「これでいこう。」
この春、咲かせることが叶わなかったソメイヨシノに、いつでも咲いていられるような「安住の地」を作ってあげよう。柄は大きくせず、遠目には無地に見え、どんな着物とも合わせられて、一年を通して使ってもらえる帯にしてみよう。
経糸は普段染めためてある綿、麻、絹の中から、サクラの糸の荒ぶりを受け止めて抑えてくれそうなものを主に選び、その強さと遊んでくれそうな水色や青をアクセントに整経しました。
そこからははやかった。普段8寸帯は、機に糸がかかってから、2〜4日で織り上げているのですが、このときは、なんと1日で織り上がってしまったのです。決して、根性を出して無理をしたわけではなく、ただただ、杼を投げただけだったのに・・・。織っている間、ずっと「鎮まれ、鎮まれ」と祈っていました。
経糸たちが慰めになってくれたようで、織り上がった帯はやさしい仕上がりになったと思うのですが、いかがでしょうか。
そんな、サクラの気持ちを受け止めてくださる方に、しめていただければ幸甚です。