つるの機織り道(織)

2019/07/18

帯「十三年だより」のこと

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ここ2,3年は、やっと時間的余裕が少しできてきたので、自宅と工房のモノの整理に取り組んでいます。
テーマは「死蔵品に活(喝?)をいれる」。活かせると思うものだけ残す。手元にあるものは活かしきる。・・・でモノとあらためて向き合ってみると、タンスの肥やしが日の目を見て結構ワクワクいたします。

工房の材料棚にも、忘れられた布だの糸だのが、かなりひねくれた様子でしまわれていました。
その中に、正体不明の整経した経糸が。「なんじゃ、こりゃ。」

整経とは、計画に従って、糸の長さ、密度を決め、必要な本数を機にかけられるよう準備することをいいます。ほとんど色らしい色のない、至極ナチュラルな糸の束。測ってみたら6m強あります。ただ、幅が皆目検討がつかない・・・。「一体、なにを織る気でいたんだろう、アタシ。」

ここでもう一度しまってしまったら、死蔵品が増えるだけだ、と一念発起し、とりあえず、幅がどのくらいあるか確かめるために、いつも自分がよく使っている25羽/クジラ筬(おさ・糸の密度を決める竹のクシ)に粗筬通ししてみました。

すると、25羽丸羽通しでぴったり8寸。ここへ来て、私の頭の片隅から古い記憶が蘇った! 「そうだ、これは!」

次の日。いつも私が織った帯を商ってくださる扇ガ谷の伊と彦さんに伺ったら、女将から注文をいただきました。「仕立てをして締める薄い帯を織ってくれますか。」夏に使える、涼し気なスケスケした帯か・・・今までのは、緯糸に太い麻をいれて、そのまま一重で使える厚めのざっくり帯が多かったので、うん、面白そうだ、やってみよう、とお引き受けしました。

工房に帰ってきてから、粗筬通しされた謎の整経をみて、これは運命だ、とあらためて思いました。

謎の整経は、2006年に開いた個展のために準備した、3本の帯のうちの1本だったのです。
その年は、ガンを患った母が、いよいよ体調を崩し、やはりガンを患った父が介護にあたっていて、それを横目に見ながら、自宅と行き来して掃除だの食事の支度だの、病院への送り迎えなどをしていた頃でした。息子は翌年から中学生という年齢。日に日に弱るおばあちゃんを見るのがよほど辛かったのでしょう、この頃から家で荒れるようになってきました。稼がにゃならんので私も正直、ぱつんぱつん。それでも、展覧会だけはどんな言い訳も持ち込めないので、徹夜で(いまはできん!)せっせと商品を作っておりました。3本織るつもりだった帯・・・でもどうやっても初日に間に合わない。しょうがない、1本諦めよう。

当時の物事の優先順位を考えれば、その決断は正しかったと思います。ですが、私の中では作家として一番手を抜いてはいけない仕事をひとつ端折ったという、どうにも始末のつかない感情に苛まれ、自己嫌悪になり、しかも、どこにもその気持を持っていけないという状況に追い込まれました。「なかったことにしよう」・・・どこかで私はそう思ったのです。だからすぐには思い出せなかった。

そんな過去のやりきれない思いの遺物に、とびきり粋な京女将が、新しい命を吹き込もうとしてくれている! もう、そうとしか思えず、頂いたご注文にはこの経糸を使おうと決めました。

女将のご注文は、未晒の麻のようなナチュラルな色合いで、色模様は殆どないもの、とのこと。この経糸はまさにそんな感じです。データをたぐってみたら、ナンテン、アジサイ、クマザサ、ニワウルシ、マキ、などで柔らかな色に染め上げた糸たち。しかも、縞が出ないよう、不規則に糸の順番を入れ替えた整経です。これを、仕立てることを見越して9寸に広げなければいけません。そこで、模紗織(もさおり)という、レース模様のように穴があく計画に変更してみました。

緯糸は、生徒さんが新潟の畑で育てたセイヨウオトギリソウで染めたフレンチリネンと、これまたご厚意でいただいたティートゥリーで染めたシルクを使いました。

その翌年の暮れ、母が他界、続いて1年半後に父も他界。今は息子も独立。好きなことを見つけたようで、元気にやっています。

あのとき、無理矢理に蓋をしてしまった負の感情が、13年たって、周りの人の愛情と植物たちの力のおかげで解き放たれて、気持ちがすれ違ったまま逝ってしまった両親にも、「おかげさまでアタシ、たいへんたのしくやってますよ」と彼岸に手紙を送ったような気持ちになりました。

女将がどんなお着物に合わせてくださるのか、とても楽しみです。 
感謝にかえて。

 

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2019/06/20

さくら帯

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今年の3月、北鎌倉コットンのまりみさんからメールが来ました。

「ソメイヨシノを伐ったんですが、染料に枝、いりませんか?」ご自宅の改築のため、どうしても伐らなければならなかったその大木には、今にも咲くかという蕾が、びっしりとついているという。

そんな時期の桜の枝が手に入ることなど、千載一遇のことなので、「ぜひ、いただきたい。」とお返事しました。

明くる日、自転車に信じられないほどのたくさんの枝を積んで、まりみさんが工房にやってきました。(ありがとう!)「まだあるんです。使われるようならおっしゃってください。」と言ってくれました。まりみさんにしても、本当は切りたくなかった木、少しでも命をつなぎたい気持ちが伝わってきます。これは責任重大だ。

染織家・志村ふくみさんの「一色一生」に、「開花前夜の桜の枝で糸を染めると、まさしく桜色が染まった。」という記述があります。これを志村さんは「まるで桜の木が全身で花の色を準備していたようだ」と読み解いています。

工房でもサクラの染色は折々やっていますが、花の時期の枝はそうそう手に入るものではありません。だいたい、夏の終わり頃に市が剪定する桜並木の枝などを頂いてくることが多い。
そのころの色は、銅かアルミの媒染で櫨色香染など、茶味が強い色合いになりやすく、特にソメイヨシノは、八重桜や山桜と違って、黄色味が強く上がることが多いのです。

しかし、いただいたソメイヨシノは、そのまま花瓶に活けたら、翌日には花が咲きそうな、みずみずしい蕾がたわわについていて、枝全体も、心なしか赤みがさしているように見えます。これは今までのソメイヨシノと違う・・・。

説明できない「ざわつき」が、胸の奥に沸いてきて、「これはすぐ煮出さなればいけない」、直感的にそう思いました。

さっそく、荒切りしてある枝をさらに細かく切って、鍋にたっぷりの水をはった中に。そこでふと、余すことなく色を取り出したいと思い、アルカリ水で抽出してみようと思いたち、水に重曹を加えることに。で、点火。

他の仕事をしながらコトコトと半日煮出し、鍋を覗いて息を呑んだ。

染液が、深いボルドーワインのような色になっていたのです。

その色には、ただ「美しい」では片付けられない「なにか」が確かに宿っていました。まさに咲こうかという時期に、幹から倒された木の、口惜しさとも、情念とも思える「業」のようなものが。

恐る恐る、下処理した太番手のリネンの糸をその業のるつぼに浸してみると、色はまたたく間に糸に移っていきました。火をとめてしばらく浸したあとに銅で媒染し、ふたたび液に浸して一晩浸け置くことに。

翌朝、鍋の蓋を取ると、染液にはほとんど色は残っておらず、かすかに薄黄色の透明になっていました。糸は、そのサクラのすべてを吸い尽くし、少し茶味の葡萄酒色に上がりました。

干した糸を眺めて、頭を抱えてしまった・・・。「この先、どーすりゃいいんだ」。それまでなんとなく頭の中で描いていた織りの計画は、もろくも糸の迫力に吹き飛ばされてしまい、真っ白になってしまいました。

2ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎた頃。糸の色は少し落ち着いてきましたが、いまだ深い業にもがいている糸に、なんとか「安住の地」をみつけてあげようという気にやっとなり、経糸を準備しました。

着物の世界では季節を意識した装いが約束で、草花をモチーフにした柄の場合、その開花期を少し先取りするのが習わしです。ですが、サクラだけは、全面に花があしらわれているようなデザインに限っては、通年着ることができます。つまりいつでも咲かせられる。「これでいこう。」

この春、咲かせることが叶わなかったソメイヨシノに、いつでも咲いていられるような「安住の地」を作ってあげよう。柄は大きくせず、遠目には無地に見え、どんな着物とも合わせられて、一年を通して使ってもらえる帯にしてみよう。

経糸は普段染めためてある綿、麻、絹の中から、サクラの糸の荒ぶりを受け止めて抑えてくれそうなものを主に選び、その強さと遊んでくれそうな水色や青をアクセントに整経しました。

そこからははやかった。普段8寸帯は、機に糸がかかってから、2〜4日で織り上げているのですが、このときは、なんと1日で織り上がってしまったのです。決して、根性を出して無理をしたわけではなく、ただただ、杼を投げただけだったのに・・・。織っている間、ずっと「鎮まれ、鎮まれ」と祈っていました。

経糸たちが慰めになってくれたようで、織り上がった帯はやさしい仕上がりになったと思うのですが、いかがでしょうか。

そんな、サクラの気持ちを受け止めてくださる方に、しめていただければ幸甚です。

 

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2019/01/29

笹蔓文(ささづるもん)

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1月の終わり。展示会のお客様で、きものつながりの鎌倉フレンドN子さん。大町の呉服屋さんにお勤めで、なんと、そのお店のきもの展示即売会のご招待状をくださいました。

京都から織元さんや呉服屋さんがいらしていて、反物、帯、小物の逸品を、ていねいな解説つきでたくさん見せていただきました。お土産に、織り布の風呂敷まで頂戴しました。数ある中から、柄の動きが軽妙で可憐な感じのものを選んだところ、「あ、笹蔓(ささづる)ですね。」とお店の方が教えてくださいました。

もともとは、明代の中国で織られていた笹蔓緞子(ささづるどんす)という古裂の模様です。
緑の経糸(たていと)に朱がかった茶の緯糸(よこいと)を入れて繻子織(しゅすおり)で紋を織りだした古渡緞子(こわたりどんす=室町時代以前に渡来した朱子織りの織物)の傑作といわれています。

明よりひとつ古い宋代の中国では「300年に一度花を咲かせる(実際は60〜120年に一度ですが)竹は、「長寿」を象徴している」という考えがあって、その竹の花、実、つるをあしらったのが最初のデザインだったようです。永寿の吉祥紋とされています。

面白いですね。今は、竹が花を咲かせるのは不吉の象徴などといわれているのに。

そのうち、当時流行した「文人画」において、好んで描かれた題材「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」、すなわち、松、梅、竹に影響を受けて、花が梅に、竹の実が松ぼっくりになったようで、これが明代になって、日本に伝わったというわけです。(竹の花は、イネ科ですから花びらがほとんど目立ちませんものね。)ですから、古い笹蔓文は、花びらは5弁でした。(写真左)

今では、5弁より6弁の花のものが多く見受けられます。(写真中央 : 東京国立博物館蔵)
これはあくまで私の想像ですが、機械で織りだす時、こちらのほうが経糸のパターンがひと手間少なくてすむので、都合がいいのかもしれません。

意識して調べてみますと、帯地などに様々な色合いでこの「笹蔓文」を見ることができます。
喜多川歌麿の浮世絵の帯の部分にも見られますね。(写真右 : 東京国立博物館蔵)

松竹梅・・・2/5は旧暦の元旦。これからしばらくは、季節的にもピッタリの柄ですね。

◎参考サイト / 文献◎

http://www.so-bien.com/kimono/
https://ja.wikipedia.org/wiki/松竹梅
https://ja.wikipedia.org/wiki/歳寒三友
・「服飾辞典」文化出版局
・「年表と地図による世界史の総整理」 平原光雄 / 著  山川出版

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2014/07/02

くずし模様

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大学の織りの授業では、それはそれはたくさんの見本帳を作らされました。縞帳、格子縞帳、平織り変化、綾織り変化・・・。

来る日も来る日も、考えつく限りのバリエーションを織り続け、それをスクラップしてゆく・・・。はっきり言って、当時は退屈の極みでしたが、それが30年近く経っても役に立っているのですから、ありがたいです。

その中に「くずし帳」というのもありました。紺と白の2色、つまり、コントラストの強い2色の糸を、同色3本以下の細かい縞にして、同様に3本以下のリズムで緯糸をいれてつくる、細かい格子の模様のことです。

例えば、白、紺、紺、白、紺、紺、白、紺、紺 とか白、白、紺、白、白、紺、白、白、紺 とか。

実はなぜこれを「くずし」というのかが長年の謎でした。学生当時、教授に尋ねたのですが、これという答えを聞くことはできませんでした。

冲方丁さんのベストセラー「天地明察」、これを原作にした同名映画をみて、はじめて「おおっ!」思いました。これは、江戸時代の算術(日本独自の数学)に関わる人たちの情熱の物語なのですが、この中に、そろばんと並んで、当時の算術家にとって、とても重要だった「算盤」というものが出てきます。
この算盤は、6〜7世紀に中国から渡った計算道具で、赤と黒の「算木」と呼ばれる小さな角柱の木片を、ある規則に従ってタテ・ヨコに算盤に並べて使います。
使い方をマスターすると、なんと多次元方程式が解けるといいますから、びっくり!! おもしろそー、習いたーい!

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(写真出典:  )

さて、その計算中の、算盤に並んだ算木の様子を見ますと、これが「ぐずし」にそっくり!

もともと「くずし」は、「算木くずし」というのが正しい名称で、国語辞典を引きますと、「くずす」には「形・様式・模様などを簡略化すること。」という意味が出てきます。 まさに算盤に並ぶ算木の様子をデザインしたものだったのです。

写真いちばん左上が、いわゆるいちばんポピュラーな算木くずしで、これを織りで表す時は、A.白、紺、白、紺と2色を一本おきに何回か繰り返し、次はB.紺、白、紺、白と色の順番を逆にして繰り返し、A と Bを繰り返します。これに全く同じリズムで緯糸を入れますと、あら、不思議、まるで算木を並べたような模様になるのです!
これもまた、江戸時代の生活の中から生まれた模様だったのですね。

「天地明察」では、主人公の岡田准一くんが、かっちょよく算盤を使いこなすシーンが出てきます。岡田くーん、らぶっ。

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2013/11/08

アイヌの蝦夷錦(えぞにしき)

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私たちのアイヌの文化に対する知識というのはかなり貧弱なものではないでしょうか。
クマやシャケを捕り、顔に入れ墨をして、アッシと呼ばれる麻の衣服を着ている?
ところがどっこい。

調べてみますと、アイヌ民族は、記録の残る江戸時代に限ってみるだけでも、かなりの名商人であったことがわかっています。

19世紀まで、当時の日本では中国の黒竜江流域を山丹といい、そこに住む人をサンタン人と呼びました。そしてこの人達が樺太(からふと)に渡り、樺太や北海道のアイヌとの間に展開した交易をサンタン交易といったそうです。
当時、鎖国中であった日本では東西からの貿易品は全て長崎を通じて入ってきていましたが、北では密かに独自の交易が行われていたというわけです。

清王朝の宮廷ではたらく官吏たちが着ていた官服。豪華な絹織物であったこの官服もこのとき北海道にもたらされ、「山丹(サンタン)服」と呼ばれていました。

江戸時代、アイヌの人々にとってはかなりの不平等な交易を強いていた松前藩、とくにこの「山丹服」にご執心でした。ご禁制の舶来品と知りながらなんとか交易を続けたい松前藩、幕府への献上品に「蝦夷錦」と呼ばわって納めていたといいます。そして、幕府もその実情は知りながら、これを「蝦夷のものならば」と容認していたフシがあります。
「赤穂の塩」がメキシコ産だったり、ゾーリンゲンの刃物が燕市で作られていたり、のような「ラベルのからくり」はこの頃から既にあったのですね。(笑)

「山丹服」はアイヌ社会の中でも社会的地位の高い族長が着たといわれます。

写真の人物は山丹服を纏ったアイヌの英雄国後(クナシリ)の総長ツキノエ。500人の部下を率いた優れた軍人でもあったといわれます。(1774年(安永3)アイヌに対し過酷な収奪や酷使、虐殺を行った飛騨屋(ひだや)久兵衛の船を襲撃し、松前藩との交易を一時停止させますが,のち藩と和睦。1789年(寛政元)の国後・目梨(めなし)のアイヌ蜂起ではアイヌを説得して事態をおさめ,その功を松前藩に賞されました。)

独自にロシアとの交易も行い、まさに北の交易の拠点を束ねて栄えたアイヌの人々。「山丹服」はその象徴なんですね。

参考サイト/文献

http://blogs.yahoo.co.jp/harukan50/22570770.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/夷酋列像
http://kotobank.jp/word/ツキノエ
・「蝦夷錦の来た道」(北海道新聞社)

 

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2011/02/03

はた織りの神様

日本にはもともと「八百万(やおよろず)の神々」がおわします。
そう、どこへいっても、どんな小さなモノにも、コトにも、コトバにも、神様は宿っているという考えがありますね。

なのに今は、大量生産のせいでモノは使い捨て、小さな仕事は忙しさから「雑用」の2文字に括られてぞんざいに扱われ、コトバは殺気立っています。一方で、植村花菜さんの「トイレの神様」みたいな歌がちゃんとヒットしているのを見るにつけ、どっこい神様は生きているぞと思ったりもします。

さて、古代八百万の神様の中には、実は「機織り」の守護神もいらっしゃいます。
古事記や日本書紀などにその記述があるのですが、これらの書物は戦前まで国威掲揚の政策に利用されてきたため
物語の本来の意味や面白さが伝えられていない気がします。実は、日本神話はラブ&サスペンス満載の冒険活劇!
その中に登場する機織りの神様とお祀りしている神社を少しご紹介します。

※名前の表記には書物によってたくさんの種類があります。ここでは比較的やさしいものを選びました。




◎天羽雷命(あめのはづちのみこと)

奈良県葛城市當麻町の葛木倭文坐天羽雷命神社(カツラギノシドリニイマスアメノハヅチノミコト)を筆頭に、各地の倭文神社 (しずり/しとり じんじゃ)に祀られています。「平成祭礼データCD」には「倭文は染織の儀、紡織、養蚕、メリヤス等すべて糸を生業とする人は是の大神に帰依して事業の隆昌を賜るべし。」の記述があります。
倭文氏は農業技術に秀でた阿波忌部(あわいんべ)氏の分派とされ、807年に書かれた歴史書「古語拾遺」(こごしゅうい)に登場しており、たいへん高等な絹・麻の織り物技術をもっていたといわれ、天羽雷命はその倭文一族の祖とされています。
機織りの神様には珍しく男神です。




◎天棚機姫神(あめのたなばたひめかみ)

やはり「古語拾遺」に記述のある神。天照大神を天の岩戸からさそいだすために,神衣を織ったといわれています。
京都の北野天満宮では、機織りの町西陣に近いこともあり七夕の神事は天棚機姫神に感謝を込めて「御手洗(みたらし)祭」「棚機(たなばた)祭」として盛大に行われています。




◎栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)

天地創造の神である高皇産霊神(タカミムスビノカミ)の娘(一節に孫)で、思想・知恵の神である思兼神(オモイカネ)は兄。
天照大神(アマテラスオオミカミ)の息子・農業の神様の天忍穂耳命(アメノオシホミミのミコト)と結婚しています。
「栲」は繊維、「幡」は織り機の意味。長崎県壱岐市の天手長比売神社(あめのたながひめじんじゃ)、奈良県北葛城郡王寺町の「火幡神社」(ほばたじんじゃ)、などに祀られています。




◎丹生都比売神(にうつひめかみ)

丹生都比売大神は国造りの神イザナギ・イザナミの娘で天照大神の妹にあたります。伊勢皇大神宮に祀られているほか、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野の丹生都比売神社(世界遺産)を筆頭に各地で祀られています。息子の高野御子大神
(タカノミコノオオカミ)と共に紀伊・大和地方を巡り、この地に農耕殖産(衣食の道・織物の道)を広めたといわれています。

【出典】



http://ja.wikipedia.org/wiki/葛木倭文座天羽雷命神社

http://kamnavi.jp/as/katuragi/kzkamori.htm

http://www.sanuki-imbe.com/SHOP/SM0910001.html

http://kotobank.jp/word/天棚機姫神

http://www.kitanotenmangu.or.jp/news/10.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/栲幡千千姫命

http://www.norichan.jp/jinja/renai/hobata.htm

http://www.niutsuhime.or.jp/

http://ja.wikipedia.org/wiki/丹生都比売神社

http://www.katuragi.or.jp/Amano.htm

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2010/02/06

はた結び

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画像 : 京都太秦工芸館HPより

船のお仕事と同様、機織り仕事でも様々な「結び」がでてきます。

短い糸の束先を千巻き棒にくくりつけるときの「片蝶むすび」、踏み木と綜絖(そうこう)枠をつなぎ、長さの調整が可能な「いかりむすび」(別名「ふたむすび」。

そして、一番大事なのが「機(はた)結び」です。

編み人や織り人にとってはお馴染みの結び方で、糸をつなぐときに使います。

数ある結び方の中で、もっとも結び目が小さく、ほどけにくい。

なのに、針などでつつくと、ちゃんとほどけるというスグレもの。

真結び(いわゆるかた結び)は、一度これで結んでしまうと、ほどきたいと思っても無理で、ハサミで切らなければなりません。

しっかり結び合わさっているのに、離れたいと思ったときはするりとほどける・・・人との結びつきや心のありようも、かくありたいと思います。何事もこだわり過ぎはいかんよなぁ。(笑)

糸へんに吉で「結ぶ」。工房にはたくさんの吉が満ちています。

(カジュ通信2010年新春号より)

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2008/11/03

おつるのお道具・筬(おさ)

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織物の経糸(たていと)の密度と幅をきめるのが「筬(おさ)」です。
日本の織り機では、この筬が大変精巧にできていることが大きな特徴です。世界でもその精巧さは最高水準。
竹を薄く削った羽(は)=リードが決められた密度にきれいに並んだクシのようなものです。


 

日本の機でこの筬が発達した背景には、竹が身近にあったことと、優れた刃物をつくる伝統技術があったことが挙げられます。

この筬の密度が細かければ細かいほど、薄くて繊細な織物が織れるわけですが、そのためには竹のリードを正確に薄く削る必要があります。日本の伝統的な刀鍛冶の技術は、このリードを削れる優れた刃物をも造り出していました。
私は今でも織るときに尺寸を用いています。和裁師と織人だけが使う「鯨尺(くじらじゃく)」では1寸が3.78センチ。(ちなみに、大工さんが使う曲尺は一寸は3.03センチ。鯨の一寸のちょうど8割。)
10寸で1尺です。この1寸の中に何羽あるかで筬の番号が決まっています。
例えば「20羽の筬」なら1寸に20のすき間がある筬、ということです。慣れてくると、カラダにやさしい単位なので、なかなか使い勝手がよろしい。着物を織る場合によく使われる筬は、45 - 60羽の筬。幅は1尺5分程度です。つまり約900〜1200本ほどの経糸がセットされるわけです。

残念ながら、ついに竹の筬は新品では手に入らなくなってしまいました。技術を受け継ぐ人がいなくなってしまったことと、手間がかかるので値段が高く、安いステンレスの筬にとってかわられたことが理由です。
でも、ステンの筬は羽が混むと重くなってしまうので、打ち込みに余計なチカラがかかってしまって、繊細な織りの場合、あまり都合がよくありません。

今、鎌倉/逗子/葉山の竹林は竹の利用がなくなって、荒れ放題。近隣の雑木林にも様々に害を与えているとききます。
日本は、ずっと竹を上手に生かすことで、美しく豊かな暮らしを作ってきました。それを加工する「手間」も楽しみとしながら。

「竹が成り立つ」で「筬」。 その心、取り戻したいものですね。

※カジュ通信2008年秋・冬号より

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2008/03/29

「凛」のひと文字

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Sakura

「世の中にたえて桜のなかりせば、春のこころはのどけからまし」と業平さんは詠みましたが、咲くまでは、まだかまだかとそわそわし、咲いたら咲いたで、散るのが心配でおちおちしていられない・・・それが桜ですね。鎌倉界隈、満開です。

敬愛してやまない人間国宝の染織家・志村ふくみさんのエッセイに「一色一生」というのがあります。
ただひたすらに植物から色を授かって糸を染め、織り続けてきた志村さんの言葉は、何度読み返しても芯まで染みます。

その「一色一生」の中に、桜の木の皮を使った染めの話が出てきます。
そろそろ花を咲かせようか、という蕾をつけた木の皮を使って染色すると、まさに花のような桜色が出るといいます。それを志村さんは「まるで木全体が花の色を準備しているようだ」と読み解きます。
さすがに私のところでは、蕾をつけた桜の木から皮をとれる機会はないので、よく台風で折れた枝などを夏場や秋に染めますが、黄色み帯びたり、茶色っぽくなったりすることが多く、桜色が出ることは稀です。本当にその時期にだけ出る色なのかもしれません。

先日、その志村さんの新しいご本を手に入れました。「小裂帖」(こぎれちょう)。志村さんが染織を始められた50年近く前から、染めて織った布の端裂を貼りためておいた見本帳を、そのまま印刷し、本にしたものです。

特に解説はなく、ただ、淡々と整然と貼り並べられた、織り布の裂端。そこにはどんな雄弁な言葉よりもずっしりと迫ってくる言霊が宿っています。

志村さんの織りは、シンプルな平織りがほとんど。凝った技法の組織はまず見られません。「これでもか」というような細かい絣(かすり)も見当たりません。たて縞、よこ縞、格子縞の平織り。ただそれだけ。
ひたすら自然の声に耳をすませて色を「いただき」、その糸に身をゆだねるようにして杼(ひ)を入れた、無欲無私の世界です。

ところが、出来上がった作品は、一目で「あ、志村ふくみさんだ。」とわかるものなのです。
私たち戦後のナンチャッテ民主主義に染まった世代は、個性の確立だの、自分探しだのにやっきになって生きてきました。しかし、探し当てたはずの自分らしさは、所詮「演出された自分」でしかありません。志村さんのように、自分という存在を惜しげもなく自然にゆだねる行為は、私たちには怖くてできないような気がします。
しかし、ほんとうの個性とは、そうやって自分を潔く手放したときに出てくるものなのかもしれない、と、小裂のひとつひとつをたどりながら思いました。

散り際を称して「潔さ」の象徴のように言われる桜ですが、その咲きっぷりもまたしかりだと、この頃思います。志村さんのお仕事は、まさに桜の咲きっぷり。「凛」の一字がよく似合う、簡潔な美しさ。

いつかたどり着きたい境地です。

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2008/02/09

織り模様・人模様

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日本には、名前のついた織り模様がたくさんあります。

浮き織、トンボ、袋織り、沖縄から伝わった、道頓(ロートン)、花織り(ハナウィー)・・・などなど。

どれも、制約の多い織り機の機能を研究し尽くした、先人の知恵の結晶です。

その中に「たて四枚吉野」通称「市松」と呼ばれる織り方があります。

市松は、コントラストの強い2色の正方形を交互に配した伝統柄で、ふすまにも、着物にもよく使われていますよね。
シンプルですが、インパクトがあり、メッセージが込めやすいなぁと思います。

初めてこの柄をメジャーにしたのが江戸時代の歌舞伎役者、初代・佐野川市松で、舞台でこの模様の袴(はかま)をはいたことから、当時のファッション界で大流行します。
それ以前にもこの柄は存在していましたが、市松が有名にするまでは「石畳(いしだたみ)」というのが一般的な呼び名でした。

周知のように、歌舞伎と能は、江戸時代のファッションを常にリードしていて、柄だけでなく、色の名前などにも歌舞伎役者の名前が多く見受けられます。
自分のファッション・センスが後世まで語り継がれるのは、
役者冥利と申せましょう。

たて四枚吉野は、経糸が四角く交互に飛ぶことで、市松状の模様を織り出します。
飛ばす間隔と配色に特に気を使う意匠です。(カジュ通信/2008新春号より) 

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